「五福ふれあいまちづくりの会」これまでの歩み

    「五福ふれあいまちづくりの会」これまでの歩み

                               寄稿:平野 俊晴


平成2年 発足

 平成2年に完成した、五福小学校との複合施設「熊本市五福地域開発センター」の主催事業として「まちづくりふれあい塾」が開講する。受講生の中から「五福ふれあいまちづくりの会」が誕生する。平成3年の暮れであった。

 初代会長=吉田央一   2代=平野俊晴   3代=高畠啓通    4代=川上 靖

5代=田中恭徳     6代=西野洋一朗  7代=出田由起則 と続く。

 

平成4年「閻魔祭り」を復活

 細工町3丁目の宗禅寺に於いて行われていたが、祭りの担い手がいなく廃止されていた。平成4年の「五福地域振興まつり」のリハーサルとして35年振りの復活となった。閻魔様の登場、小学生と老人会による灯篭づくりなどを取り入れ、フェスタの成功へと地域住民が立ち上がった。

 

 

平成4年「風流街浪漫フェスタ」がスタート

 平成4年秋に熊本市の予算付けで「五福地域振興まつり」が開催されることとなった。すぐさま地域の中で実行委員会を立ち上げ、名称を「風流街浪漫フェスタ」とした。まちづくりの会は当初バザール部門を担当。また、祭りの目玉として90年振りに「奇習すり鉢舞い」を復活させた。正調すり鉢舞いに加え、すり鉢舞い総踊り用に高畠さん作曲のサンバ風すり鉢舞いを創作し、振り付けは花柳光之助先生にお願いした。

 

平成5年 深田村との地域間交流始まる

 前年の第1回フェスタに球磨郡深田村古町地区の深水さんが訪ねて来られ、「古町つながりで交流したい」との申し出があった。平成5年、平家に伝わる「庄屋臼太鼓」とともにフェスタへ参加していただいた。

平成5年 壱岐 勝本町を訪問

 平成5年は太鼓の競演で壱岐勝本町の「壱州荒海太鼓」にも出演いただいた。まちづくりの会のメンバー5名で壱岐まで赴き、勝本町の商工会の皆さんにお願いし、イカの一夜干し等の海産物の販売もしていただいた。

 

平成5年 球磨焼酎「風流街浪漫」発売

 深田村との交流の中で、川上さんの提案により甕仕込み本格焼酎を同村の高田酒造所さんにお願いして、プライベートブランドで造っていただいた。ラベルのイラストは勇嘉男さん、現在でも販売しているが川上酒店だけでの取り扱いである。すっきした味わいはリピーターが多いお奨めの品です。


 

平成5年「風流街縁遊会」を開催

 平成5年、鍛冶屋町公園の桜を愛でる風流街縁遊会を開催することになった。都市公園一号の公園ではあったが、古往生院の墓地後を熊本市が借地をして建設されていて、さらに出入り口が1か所しかないため子供たちの安全性からも問題ある公園であった。新旧住民、五福に連なる方々の交流の場として利用されていった。


平成6年 深田村 村政百周年

 平成6年の「だんだんな祭り」は村政100周年記念となり、筏下りにも参加。門外不出の「すり鉢舞い」も披露した。

 

平成7年 風流街浪漫フェスタが「最優秀賞」を受賞

 まちづくりの会が取り組んだ活動のレポートが、熊本スピリッツ運動推進協議会より平成7年度の「最優秀賞」に輝き、深田村村長前原弾正氏からも祝電をいただいた。

 

平成9年「リサイクル大作戦」の開始

 平成9年、古紙価格の大暴落によりPTAによって行われていた廃品回収が中止を余儀なくされた。ところが新聞紙やビール瓶等を集めていただいていた地域の方々から、資源物を捨てるのはもったいないというお話をいただいた。そこでまちづくりの会は熊本市の再生資源集団回収団体として登録し、以後、学校と協力してごみ減量化、地球環境の保全にも取り組むこととなった。

 

平成14年 鍛冶屋町公園リニューアル

 平成14年、志波先生担任の4年生の子供たちが公園をきれいにしたいと言い出した。草取りをし、トイレの壁の色塗りをし、花壇を作り看板を架けた。さらに全校生徒にアンケートを取り遊具を選択、市に出向いて公園管理課の皆さんに要望書を渡した。それから2年、現在の公園がリニューアルすることとなった。

 

平成15年「あさぎり町」の誕生

 県下の平成の大合併新規の一号が、中球磨五か町村で結成された現あさぎり町である。前原弾正村長の卓越した指導力によるものだったと思う。なお、新町名の候補に「五福町」があった。ありがたいことだ。

 

平成17年 五福風流街商栄会が発足

 平成17年、前年でフェスタに対する熊本市からの補助金がなくなり、地元としてはフェスタ存続のために受け皿づくりとして商店街を作ることとなった。校区全体を面として結成された商栄会となった。

 

平成19年 永田イネとおてもやん像

 県民百貨店前のおてもやん像のかんざしが何度もいたずらで折られる事態が続いた。可哀想なので川端町付近に移したらどうかと申し出たが断られた。祗園橋際にポケットパークができることとなり、おてもやん広場として地元で管理していくことに。ベロタクシーのNPO法人熊本ホスピタリティーネットワークの協力を得、募金を開始。イネとおてもやん2体のブロンズ像が、緒方信行先生によって製作され、192月に除幕式を執り行うことができた。三角市長との「台座は市が負担する」という約束から10年が経っていた。

 

平成22年 五福百年勉強会

 平成22年、まちづくりの会設立20周年記念事業として「五福百年」勉強会を企画した。ゲストに北岡神社の井芹宮司に来ていただいたり、界隈ウォッチングを行ったりと充実したプログラムとなった。

17か月に及ぶ長期間の勉強会となったが、登録参加者40名のうち8名が修了証を受けることができた。

 

平成28年 熊本大地震

 平成284月、熊本を襲った大地震は校区にも大きな被害をもたらした。3日もしないうちに災害ゴミで町中が埋め尽くされた。校区復興協議会を立ち上げ、当面の炊き出しや、ダンプカーをリースしてのゴミやブロックの搬出にかかった。あふれかえったゴミ収集所、個人住宅、分譲マンション、会員が午後8時に現地に集合しダンプカーに積み込む。翌朝早くから処分場へ駆け込む。427日から527日まで、扇田環境センターへ2172トン、西武環境工場へ127トン。毎日廃棄に当たった。

 

 

 平成という時代は五福の町にとって大きな前進の時代であった。昭和から平成にかけ

てのバブル期によって多くのマンションが建てられ、新旧住民が混在し、商売の町から安心して住める街へ移り変わった。

 「まちづくりの会」は一人一人の空いている時間を持ち寄って、地域のためのお手伝いをしていただきます。緩やかなる連帯の中で自分の居場所を探して下さい。